南光院について

縁起
当院は、弘仁10年(819 年)に高野山を開創された弘法大師空海様を宗祖と仰ぎ、その高野山金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗の末寺です。

古くは「高見の毘沙門堂」、または「南光坊」と呼ばれ、近世には「高見のお大師さん」として多くの人々の信仰を集めてきました。三日月城の裏鬼門を守護するこの地は、古来より神仏の加護が顕著であり、藍田村の北に位置する雨吹山に居を構えた後、現在の高見の地に移り「高見山」の山号を拝しました。


その開創の詳細は明らかではありませんが、江戸時代の文化年間に記された「相良家文書」には、江戸参勤交代の際、城内の持仏間で南光坊の「ウスサマ祈祷」が行われた記録が残されています。この伝統は、青井阿蘇神社での出立とともに、当時の人々の信仰の深さを物語っています。また、安永年間の石灯籠や文政年間の打鐘が、その歴史を今に伝えています。

しかしながら、時代の移ろいとともに当院は無住となり、わずかに民衆の信仰によって法灯を守る状況が続いておりました。そうした中、明治時代に善貞尼が中興を果たし、再び檀信徒とともに信仰を育み、今日の南光院の礎を築きました。

善貞尼は明治初期、球磨郡湯前に生まれ、戦争や病による家族の喪失を経験した末に仏門に帰依されました。高野山で得度を受けた後、当院の復興に尽力し、檀信徒の教化救済に身を捧げました。その生涯はまさに、弘法大師様の教えを体現したものであり、当院の信仰の深さと温かさを今に伝えています。
当院の本尊である毘沙門天は、非常に珍しい左利きの姿で祀られており、その捧げた宝塔より無量の福徳財宝を授け、宝棒をもって罪障を打ち砕き、人々を守護する仏様です。毘沙門天のご加護を受け、どうぞ心静かにお祈りください。

御真言(毘沙門天)
おんべい しらまんだや そわか